MEMO

めも

二次創作BLの個人的な許容範囲として

  • 原作で恋愛関係が明確にされてない2人のBL←いいんじゃない?
  • 原作で別の人物との恋愛関係が明確にされている男を含むBL←私は好きじゃないけど、まあいいんじゃない?
  • ↑に加えて、BLにされてる男の原作での恋人や伴侶が腐女子化されて、当該BLに萌えている描写←これはすっごい嫌

というのがあるんだけど

なんで3番目が嫌なのかな〜と考えた結果
「BLそのものは当事者2人への愛や解釈の結果だけど、原作上の恋人や伴侶の腐女子化はそのキャラクターへの愛や解釈の結果ではなく、自分の望むBL関係に都合のいいようにキャラクター像をねじ曲げてるだけのように思えるから」
なんだろうな〜という結論になった

たぶん、腐女子化されるキャラにもともとそういう気がある描写が原作にあればそんなに気にならんと思う
やっぱ私は原作へのリスペクト重視形のオタクなんだろな
#思想
ここ最近の自分の友情語りを見ていて思うこと

私が自分のキャラ交流においても、アニメ映画その他フィクション作品においても、一般的に喜ばれることの多い恋愛関係よりも友情の描写に惹かれやすいのは、友情の持っている不変性のせいなのかもしれない。
恋愛は、恋を通り越して愛まで行けば不変性もある程度獲得するけど、それでもやっぱり、特に性愛なんか絡んでくると、どうしても不変性が揺らぐ瞬間はあるんですよね。

友達って、どんな別の関係が付随しててもなれる関係で、不変だから……ある種、あらゆる人間同士の関係の中でも特別とも言える、そんな気がします。
友情厨の見解は以上です。

#思想
#思想
CoC秘匿HOありシナリオをいくつか遊んで思うこと

秘匿HOありシナリオの全てがそうというわけではもちろんないのだけど、やっぱりどうしてもPL間での情報の偏りが出てしまうので
シナリオの作りによっては一緒に遊んだというよりは「同じ舞台にいながら別々の方面を見、別々のストーリーを辿った」感が強くなるなぁ

秘匿HO由来の情報をPL/PC間で共有して、共通の問題を解決することが前提の作りになっているシナリオならそうはなりにくいんだけど
秘匿HOがあくまでNPCとの交流のためとか、HO個別のストーリーのために設けられていると「これ……一緒に遊ぶ必要あったかな」と感じやすくなるかも
個別処理とか多いと余計にね

そんでそういう作りのシナリオってやっぱPL間の不和のもとにもなりやすいんだろうな……とも思う
参加PL全員のスタンスが一致してたり、一致していなくてもお互い理解の上で了承できてるなら問題ないだろうけど、やっぱ「感情」って思わぬところで動かされるもので……
端的に言ってしまうなら、自分の把握してない情報(NPCなりHO個別のストーリーなり)によって他のPLの心が掴まれたり、勝手にストーリーが動かされてるように感じるの、同卓PLとしてはつまんないのよね
同卓してるはずなのに一緒に遊べてないからさそれって

とはいえ、秘匿HO由来の情報が、きちんとみんなで協力して問題を解決するための鍵として機能してくれるシナリオもあるので
「秘匿HOありシナリオ」という大きなくくりで判断するのもちょっと良くないんだよな。
(私の爆推しシナリオ「新世界より」にも秘匿HOみたいなものがあるし)

まあ、でも今流行っててる秘匿HOありシナリオでいわゆる「狂ってる」人が多いシナリオは私には向かない構造である可能性が高いということは分かった。ので、今後はそういうシナリオへの参加は今以上に慎重にしようと思う畳む
おそらく交流企画の話だと思うんだけど
「女の子キャラばっかりたくさん作っている人とは交流したくないと思いますか?」みたいな話題を最近見かけた

正直言うと
女キャラばかり/男キャラばかり作ってる人だからといって、別にそれを理由に避けることはないけど、
女55:男45くらいの割合で生産してる身からしたら、キャラクター創造にあたっての価値観が根本的に違いそうだなぁとは思う、私はね

実際、経験的に「この人とはすごく良い交流をさせてもらえた」って思うような相手って、どちらかの性別ばかりとか、特定の属性ばかりを創作している人よりは、いろんな属性のキャラを作って動かしている人の方が多いので……
私も意識的にいろんな属性のキャラを作るほうなので、やっぱりキャラクター創造の価値観が近い人の方が、ファーストインプレッションというか、「この人と遊びたい」と感じさせられるな
(もちろん、女ばかり/男ばかり創作している方が相手でも、良い交流をさせてもらえることは……ある!!)

ただこれは「女の子/男の子ばっかり作ってる人は避けられるからやめた方がいいよ」って話ではなくて、「どんなキャラクターを作ろうが、結局良い交流ができるかどうかは相手との創作価値観とか相性による」って話なんだよな
人間同士の関わりの上で相性があるのと同じように、キャラクター交流だって親同士に相性があるのは当然のことなんだから
忘れがちだけどね
#思想 #交流の話
蘭たんのポケダン実況を見ていて出てきた「ときには犠牲も必要だと思うか」という問いに真剣に考えてみたけど

「ときには犠牲も必要だ」ってセリフが出てくる状況ってなんかもう、今犠牲を払うことが避けられない、って場面だと思うんですよね
だから「ときには犠牲も必要」なのではなく「犠牲が避けられなかったからそれを必要なものだったという結論にすることで自らを守る」が正解なんじゃないかな

諸説あります
#思想
自分の深めの思考を文章にしたものを読み返すのが好きなので、たまにこのメモの #思想 タグを遡って読み返したりするんだけど、ほんとに自分のサイト作ってよかったなって思う。
Xとか、周りのオタクを見てて感じたこととかも素直に書いてるので。
とてもタイムラインに流せるような代物じゃないんだよな。
別に議論を吹っ掛けたいわけじゃないので

SNSの良くないところ、なんでも書けちゃうが故に「別に議論したいわけじゃなくてほんとにただのひとりごとを言っただけ」でも勝手に議論が巻き起こりやすい点
#インターネット
私、たまに「同人誌的展開が好きでない」と表現することがあるけど、あまりにも大雑把で乱暴だなと思って考え直したところ、より具体的には

  • 脈絡や因果関係が見えない、あからさまな作者都合の展開やシチュエーションが苦手(〜しないと出られない部屋とか)
  • キャラのアイデンティティを無視するレベルのパロディ設定が苦手

という結論に至った
要するに原作厨
#思想
近年、映画とかの宣伝でたまに見るようになった「犬は無事です」「猫は無事です」ってやつ
個人的には人間も動物も平等に扱ってほしいからノイズにしか思えないんだけど、実際どんくらい宣伝としての効果があるんだろう
ファンが勝手に調査して犬猫が無事かどうか作品ごとに公表してるなら別にお好きにどうぞなんだけど、公式の広報が「無事です!」ってやってると悪ノリにしか見えなくて
私が犬猫飼ったことなくて別に思い入れのない人間だからそう思うだけなのか
#思想
交流企画で深い交流をした相手と、企画外での付き合いが上手くいかなかったパターン、なんぼか見てきたけど、やっぱ「キャラ同士が仲良くなれたから創作者同士も仲良くなれる」とは思わない方がいいよなー
この人たち、このキャラ同士の絡みがなければおそらく接触しなかっただろうな、って思うくらい普段みせてる価値観が違う人たちってやっぱいるし……
これは自戒も込めています
#思想 #交流の話 #企画の話
交流企画でできた繋がりって強いようで希薄だよな~
いうて同じ交流企画に参加しただけの繋がりだし、「クラスメート」くらいのもんだよな。そこから特にアクションをしなければそれで終わりだし、仲良くなろうと思えばなれるし。
共通の話題がなければそれまでだし。
深い交流させてもらえた相手でも、価値観が合わなければ交流続かなかったりするしな……
まあ経験的にキャラ交流が盛り上がった相手は価値観も合うことが多いけど、必ずそうというわけでもないし

交流企画で知り合って企画以外のことでも付き合ってくれる人たち、大事にしたいよ
#思想 #企画の話 #交流の話
今まで交流企画で出会った人たち、自分は女性ながら企画には男性キャラばかり出して「女キャラは上手く動かせなくて」と言う人が一定数いて、それが不思議に思っていたのだけど
(私の理屈としては、自分も女なのだから女キャラのほうが行動原理や感情などが理解・組み立てしやすくて動かせるのではないか?と感じる)
最近になって、それって世の中のフィクションの物語にはメインキャラが男性の方が多いのが関係してそうだなあと思うようになった

私はキャラクターの行動にリアリティを持たせたいので「自分が実際に感じたことのある感情や、実際に抱くことのある行動原理をキャラに落とし込む=自分と同性の女の方が動かしやすい」けど
上に書いたような「男の方が動かしやすい人」は、自分じゃなくてフィクションの物語からキャラのインスピレーションを受けているのかなって
実際そういう人の動かすキャラクターは、現実的というよりはキャラクター的だなと感じる(それが良いか悪いかという話ではなく、キャラクターの手触りの話)
最近は女性が主人公の話も媒体問わず多くなってきたけど、一定以上昔のフィクション作品では、女性キャラクターといったらヒロイン(男主人公の恋愛相手という意味合いで)、それからサブキャラクターの一部、みたいな感じのものばかりだしね

あと同じ感じで「交流相手が女性キャラクターのとき、どこまでつっこんだ交流をしていいのか分からなくてふわっとしか関われない」みたいな話を聞くけど、このへんもフィクションキャラクター女性密度や役割の偏りが関係してそう。

実際、女性キャラクター動かしてるとなんかこう、突っ込んだ交流をもらえることが少ないな〜と感じることはよくある。その逆もしかりで、突っ込んだ交流をしてくれる女性キャラクターが少ないとも感じている。
だから私が女性キャラ動かしてるときに突っ込んだ交流をもらえたり、
交流相手の女性キャラが突っ込んだ交流をしてくれたりすると、なんかもうそれだけで相手のこと大好きになっちゃうんだよな。
あ、この人、趣味が合うぞ!!!って
#思想 #交流の話
昨今はフェミニズムの考えがあらゆる界隈に浸透して、フィクションの女性キャラもかなり多様化してきたけど、そんな中で「古典的なフィクション女性像」に近い女性も一緒に出てきてくれると謎の安心感がある。最近だとポケモンSVのリップさんがそれにあたるな。美しさを追い求める女性
多様性は大切だし、女が強くあってもいいし、女が美しくなくてもいいんだけど、それはそれとしてか弱い女や美しさを追い求める女、王子様との恋を夢見る女なんかも、いないことにはしないでほしいんだよ……この辺のバランス感覚は難しいとこだと思うけど

昨今のポケモンの多様性の描き方かなり好き。ポケモンが多様であるように人間も多様で。男性もいろいろいて好ましい。
#思想
一部の創作者、「◯◯さんは闇の創作者」「××さんは光の創作者」(ハッピーエンド志向かバッドエンド・ビターエンド志向かみたいな意味合い)って言うことがあるし私も言われたりするんだけど、私自身がそういうふうに言われるのはどちらもしっくりこないんだよな
ハッピーエンドの話を描く時もあれば言い逃れしようのない闇の物語を描くこともあり
でもそれはどっちが好きだという話じゃなくて、因果を重視してるだけなんだよな

自分が物語を評価するときも、ハッピーエンドかそうでないかは二の次で、話の流れから納得できる終わりかどうかを重視するし
ご都合主義が好きじゃないんですよね
大団円っぽく終わってるけど全然説得力ないぞ!!ってのも好きじゃないし、逆に後味悪い終わりになっても因果関係がよく見えなければ「ただただ鑑賞者に暗い気持ちになってほしかっただけなんか?」って思うだけだし……
物語がどんな終わりになっても、そこに至るまでの過程に納得がいくなら受け入れられるし好きになれる

なので私のことは因果の創作者と呼んでほしい(?)
#思想
まことしやかに囁かれることのある「絵を描かない人の中には、絵を描ける人に対してコンプレックスを抱く人が一定数いる」みたいな話、ほんまなんやろうか……とずっと思っているんだけど、まあそれは私が普段から絵が描けるしメチャウマイ人たちとばっかつるんでるから見えてないだけなんだろうな

私は小さい頃から息をするように絵を描いていてそのまま筆を折ることなく大人になったパターンの人間。
物心ついたころからマンガアニメゲームその他諸々に触れてきた人間であれば小さい頃は多少なりとも絵を描いただろうと思うけど
そのまま大人になるまで続けるか、どこかでやめるかの違いって結構デカそうだなと思う。
ある程度大人になってから絵を学ぶのってやっぱ辛いと思うんですよね。自分の今の技術と、本当にすごい人との違いや、差がどれだけ開いているのかを理解できる年齢から学ぶの、きついと思うな……
それに私が中学生とかのころは、よく行くゲーム攻略サイトのお絵かき掲示板や、よく読むゲーム情報雑誌のイラストコーナーにすごい投稿をする常連さんがたまにいるとか、そんな感じだったけども、今は何もしてなくても毎日のようにSNSで激ウマイラストが流れてくる。
FGOとかで出されてても違和感ないようなスゲー絵に、高校生イラコンに出品しました! なんて添えられてたりしてね。
筆を折るに至る理由が昔より多いと思う。
同時にYouTubeなんかで無料でプロのイラストの技術とかに簡単に触れられる時代でもあるんですけど。一長一短だよね。
だからコンプレックスなんて言われるんかなぁ〜
#思想
やっぱり私は自分が今何を考えているのか、何が好きで、何が嫌いなのかをきちんと言葉を尽くして話してくれる人が好きだなぁ
他人が何考えてるのか知るのが好きなんだ
本人が話してくれないのであれば、邪推するしかないので
#思想
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